昇る朝日夕日に向かって

自担にはまりすぎて抜けられないジャニヲタの話

前を向けますように

 

自担が退所してから、はや90日が経とうとしている。

自分の心境を整理すると共に、完全に私の目線で描く、自担多めの今年1年の話をする。

 

 

あの日、

あの時、

誰が梶山朝日というアイドルが退所することを予想していたか。

 

 

私はTravis Japanを好きになったのも、梶山朝日が自担になったのも、2017年にはいってからである。

ただただ感情で感情を踊るダンス、人一倍輝く笑顔、時にはその笑顔で客を落とし自分のものにしていく。

私もその懸命さに心を奪われた1人である。

 

某三人組グループに比べれば、ファンは圧倒的に少なくファン層も高い。

安定しているグループとはお世辞でも言えない。

持ち曲もオリジナル衣装も今年にはいってから貰ったばかりである。

 

しかし私は彼を応援しはじめてから、明らかに自分の生きている場所に光が射した。

 

学校へ行けば所謂ヲタ友は少なく、いてもデビュー組の担当。

Jr.なんて知っていても平野くんくらいである。

しかし私はそんな環境の中でも常に自担を誇らしく思っていた。

デビュー組の担当の友達にはよく小馬鹿にされたものだ。

「梶山のどこがいいの?」なんて耳にタコができる程聞いた。

けれども私は聞く度聞く度自担のことを全力で話した。

好きになってもらおうとしていた訳ではない。

きっと、自担について思う存分語る自分が好きだったのだ。

 

今思えば、昔から人と同じことをしたり真似されたり、個性を潰されたりすることが大嫌いな性格だったので、Travis Japanという知る人ぞ知る素敵なグループに出会えたことは運命だったのかもしれない。

 

クリエには足を運べなかったものの、毎夏Exシアターで行われているコンサートには、今年は沢山通うことができ、その前日にはPONに出させて頂いたりなんかして、春夏を通し更に彼らの魅力に浸っている最中であった。

 

秋には帝国劇場での舞台を控えている彼らだったが、その間にもキスマイや内くんのバックのお仕事やテレビ番組、舞台の稽古等、多忙なスケジュールの中、どのお仕事にも真正面から真摯に向き合い一つ一つをこなしていく姿に何度も胸を打たれた。

 

しかし、頑張る人が必ずしも報われる世界ではないことを思い知らされる出来事があった。

 

森田美勇人のグループ移籍

 

私がTravis Japanを好きになった時、既に彼らは7人であった。

もちろん、好きになる前ではあるが、少年倶楽部や雑誌を通して脱退したメンバーについては把握していた。

 

掛け持ちを辞め、一本に専念することにした仲間

 

俳優という夢を追いかけ自ら退所の道を選んだ仲間

 

理由は分からない。

分からないけれど、美勇人の移籍については、快く受け入れられない自分がいた。

2人の脱退を快く受け入れたわけではない。

しかし、2人の脱退はTravis Japanのファンという立場での体験ではない為、軽々しく発言してはいけないような気がしているのだ。

美勇人の移籍が受け入れ難いのは、Travis Japanを応援しはじめてからの初めての経験だったからかもしれない。

しかし、私が感じた悔しい気持ちはそれだけではなかった。

 

Travis Japanの中でも特にずば抜けたダンススキルを持っていたから。

 

これも理由の一つかもしれない。

ダンスを主とするグループであるからこその理由。

けれどもこれだけではないような気がした。

すると、ふと脳裏をよぎったとある雑誌の対談。

阿部顕嵐と仲田拡輝(現百名ヒロキ)の脱退について言及した雑誌であった。

そこで森田美勇人は“最後の一人になってもTravis Japanでいたい”という発言をしていた。

私の中で引っ掛かっていたもの、その引っ掛かっていたものこそ、まさにこの言葉であった。

 

決して将来が確立されているとは言えないジャニーズJr.

 

そんな中、雑誌という紙面に残るものでこの発言をしてくれたこと、掛け持ちしている美勇人だからこそ言ってほしかった言葉。

この発言で、何百人、何千人、何万人のファンが安心したのだろう。

しかし、願い届かず半年も経たない内に、彼はグループを離れることになってしまった。

 

今でも時々思ってしまうことがある。

ダンスよりバンドを主としているLove-tuneだからこそ、美勇人のダンスが恋しくなってしまう。

キントレ(夏のExシアター公演の通称)では、これで最後なのだろう、そう薄々感じていたのも事実だ。

美勇人はこの道を自分で決断したのだろうか。

いつかの雑誌で語られることを期待している。

 

季節は流れ、帝国劇場での舞台が始まった。

私の名義は全滅の為、行く予定は無かった。

舞台映えする彼のことだからきっと活躍してくれるだろう、そんなことを思ったりしていた。

 

しかし、まだ初日を迎えて間もない9月10日、とある噂が一気に広まり出した。

正直言って信じていなかった。 

というよりかは、信じてはいけないような気がしていた。

「病は気から」とでも言うように、悪い方へ引っ張ってはそうなってしまうのではないか、そう思い、ただひたすら嘘であることを願っていた。

正直、他担に騒いでほしくなかった。

大体の人が過去に脱退したメンバーの名前を出して「4人目?トラジャ可哀想」そんなツイートばかりだったからだ。

可哀想って何、そう思ったが、既に心が折れそうだったので黙っていた。

 

舞台へ行きたい、そう思ったが金銭的に余裕もなく、行ける日時も限られており難しかった。

 

千穐楽へ向かうにつれ、徐々に不安は薄れていった。

Twitterであまり流れてこなくなったからかもしれない。

そして、タイミング良く千穐楽の前日に、少年倶楽部で念願の新曲披露。

前の週には2度目のジュニアにQに出させて頂いた。

私は何故かその時、彼らなら大丈夫、何の根拠も無いけれど確かにそう強く思った。これから6人で頑張ってね、と。

あの一曲の中に彼らの全てが詰まっていて、美しさも強さも兼ね備えた素晴らしいパフォーマンス。

観ていた人全てに感動を与えたのではないだろうか。

決して大袈裟な表現だとは思っていない。彼らのパフォーマンスがそう思わせたのだ。

 

少年倶楽部にて素敵な画を観た翌日は、とうとう約一ヶ月に及んだ舞台の千穐楽

 

未だに上手く言葉にまとめられないが、この千穐楽は色々な意味で、私にとって永遠に心に残るものとなった。

恐れていたことが現実に。

こんなに一瞬で何もかもどん底に突き付けられたことはなかった。

多くは語らない。語れない。

悲しいという気持ちを通り越して何も考えられなくなった。

 

実際に観劇していた訳ではないから、全く背景が見えなかった。

千穐楽のレポの筈なのに朝日のことしかない。

寧ろその他の感想等一切存在しない。

 

言葉が出なかった。

 

慰めなんて要らない。

放っておいてほしかった。

 

ABC座、今年もトラジャなのだろうか。

折角当たっていた湾岸。

全て全て自担がいないなら意味がない。

 

周りの人全員が変に気を遣っているようで、誰にも話したくなかった。誰も信じられなかった。

今でこそこうして文字に起こせているが、今でもこの気持ちは梶山担にしか分からないだろう、と思ってしまう。

 

グループ移籍でもない。

円満退所でもない。

 

悔しい、ただただ悔しかった。

 

 

ABC座には案の定Travis Japanの出演があった。

自担がいない5人の雑誌も見れない。そんな私に観劇ができるのだろうか。

 

色々な気持ちを抑え日生劇場へ行った。

幕開けと同時に愉快な音楽が流れ、それに合わせA.B.C-Zが階段を下ってくる。

まだ何も始まっていないのに、Travis Japanのメンバーは誰も出てきていないのに、不思議と涙が大量に溢れ出てきた。

これから出てくるのは5人。

そう考えるだけで何か感じるものがあった。

観劇中、どうしても朝日の姿を探してしまう自分がいた。

内容的にはとても素晴らしい舞台だった。

しかし、複雑な気持ちを抱いた。

5人での夢のHollywoodを観た時、私が夏に観たものやテレビを通して観たものと何ら変わりはなかった。

悔しいけれどそれくらい彼らは、5人は、輝いていたのだ。

Travis Japanを知らない人からすれば違和感なんて全く無いだろう。

本当に輝いていて、一パフォーマンスとして感動した。

けれども同時に悲しい気持ちも込み上げた。

朝日がいた場所が綺麗に埋められている。

パフォーマーとして彼らは隙をみせることはできない。だから朝日の分をそのまま空けておく訳にはいかない。

そんなこと分かっている筈なのに、受け入れられなかった。

このまま忘れられてしまうのではないか。

私だけ置き去りにされている気がした。

 

一ヶ月もしない内に湾岸LIVEが控えている。

私なんかが行ってもいいのだろうか。

自担がいなくなっても、私には他のメンバーに降りるという考えはなかった。

だからこそ湾岸LIVEに行くことを躊躇った。

しかし、友人の後押しもあり、直前まで迷ったが覚悟を決めお台場へ向かった。

 

日時が迫ってくるにつれ、徐々に新体制を受け入れられるようになった。

受け入れなければならない、と、無意識に思っていたのかもしれない。

そんな中、Travis Japanが増員する、という噂が流れた。

また噂、そう思ってしまった。

しかし、自担が退所する噂を過去に流された私にとって、増員の噂は小さなことに思えてしまった。

 

今更だが、このブログについて沢山の反感を買っていることは重々承知している。

嘘偽りないことを書く、それには全員が全員理解してくれることなんて有り得ない、そう思っている。

 

話を戻す。

私からすれば小さなこと、しかし5人を好きな人からすれば信じたくないことだったようだ。

増員しないで、Travis Japanはあの9人だから、そんな声が多かった気がする。

過去を忘れられていないことに対しては嬉しかった。

けれども、ABC座を通して5人のTravis Japanを観た人の一意見として言わせて頂くと、彼らの武器は揃っているダンス。彼らを更に輝かせる為にはそのような決断も必要なのではないか。Travis Japanというグループを維持する為にも、今必要なことなのではないだろうか、勝手ながらそう思った。

 

湾岸では噂通り松松がゲスト出演した。

偶然にもTravis Japanのグループカラーと自担のメンバーカラーが一致していた為、私は紫色のペンライトを振ることができた。

如恵留くん作曲の歌を披露する時の一面を紫にする演出には感動した。

朝日の色として紫にしているのではないことは分かっているが、それでも嬉しかった。

一瞬だったが、その一瞬がとても幸せだった。

 

オーラスでは松松の新加入が正式に発表された。

喜ばしい反面また一歩彼らは前に進んでしまったな、と思った。

彼らはどんどん前に進んで行く。

私はまだ「自担の退所」というところで止まっている気がする。

いつまでも後ろは見ていられない。

しかし、彼らのすぐ後ろをついて行くのも少し違う気がしている。

朝日はもう違う道を進んでいるのは分かっているが、彼らについて行ったら朝日を置いて行ってしまっているんじゃないか、そう思ってしまうのだ。

私は朝日の何でもないのに。

 

湾岸を機に、新生Travis Japanは新衣装と新曲を貰った。

きっと、私の中の黒い部分が働いているだけだが、悔しかった。

何の根拠も無いが、美勇人と朝日がいなくならずにずっとTravis Japanに在籍していたとして、本当に湾岸で新衣装と新曲を貰えていたのだろうか、そんなことを思った。

 

梶山朝日が自担になってからいなくなるまでについて一通り書き終えた。

 

気持ちを切り替える。

 

正直、私はまだ全くと言っていいほど前を向けていない。

梶山朝日」というアイドルが大好きで、離れられなくなってしまった。

退所理由が本当であれば、大勢のファンを裏切り一人の女を選んだアイドルなんて最低最悪である。

しかし、数少ないけれど、自分の目で見た梶山朝日はアイドルをしていた。

どんな時も笑顔を欠かさず、ファンサービス旺盛な、典型的なアイドルの模範であった。

そんな彼が最低最悪な辞め方をするのだろうか、色々思う節はあるが、私は当分ジャニーズから離れる事を決めた為、今後については何も追わないことにしている。

決してファンを辞める訳でも嫌いになる訳でもない。

辞められないだろうし嫌いになれないだろう。

それくらい彼は魅力的なアイドルであった。

アイドルの模範であった。鏡であった。

偽りの姿だったとしても、それが語られる事はないだろう。

Travis Japanの最年少として5年間アイドルを貫いた事実があるからだ。

お兄ちゃん達には沢山迷惑を掛けたであろう。

雑誌の一部分を手に取るだけでも、沢山悪事を働いてきたことが分かる。実際には数え切れないほどあるのだろう。

お兄ちゃん達、今まで最年少の面倒を見てくれてありがとう。

 

中学生でPLAYZONEという大舞台に立ち、沢山の経験をさせて頂いたこと。

中一でPLAYZONEなんて、今の中一Jr.の子で考えると本当に凄いことである。

 

楽な道ばかりでは無かったTravis Japan

半分が脱退し、新メンバーが加入。

新メンバー加入と共に、彼らは一歩が大きくなったように感じる。

それが良い意味なのかは分からない。

寂しい気持ちも悲しい気持ちも悔しい気持ちも、まだまだ拭い切れていない。あと5年は必要だ。

しかし、彼らは私なんかよりももっと沢山の感情がある筈だ。

それは、マイナスなものばかりでなくプラスなものも含めて。

 

これからの彼らの活躍に期待を寄せて、一梶山担の一年の総括とする。